2012年5月5日土曜日

シェイクスピアは実在の人物か | シェイクスピア


時々、ストラットフォードのThe shakespeare Birthplace Trust からFriends Newsletter が送られてきます。

表紙などにあげられるさまざまなシェイクスピアの肖像画を見ていますと、ちょっと気にならないでもないんですね。

毎回いろいろ異なるシェイクスピアの肖像を見せつけられるわけですから。

戯曲全集、ファーストフォリオ(1623)の口絵に添えられた銅版画など、よく見かける、あのおでこの広い、宮廷人らしい権威ある衣裳まとった肖像画などは、大衆劇作家としてのシェイクスピアからは、ちょっとかけ離れているんじゃないか、とか。

別の顔を見て、これはシェイクスピアじゃないだろう、とか

私は、シャンドスポートレートと言われる、当時流行のイヤリングをピカッと光らせて、庶民の姿そのままに描かれた、あの油彩のシェイクスピアにずっとずっと馴染んできました。

おお、シェイクスピアだ、シェイクスピアを目の前にして描いたな、と思わせるようなリアルさがあります。

シェイクスピアはこれでいいんじゃないか、と。


そうではあっても、シェイクスピアはこの世に実在したか否かという問題は、残るらしいんですね。

実際は、他の作者か、ウィリアム・シェイクスピアというペンネームを用いた共同執筆グループによって書かれたのではないか、などとあれこれと憶測されています。

こういう憶測が学説として存在するから、ことは面倒になるんですね。


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以前、NHKの番組だったと記憶していますが、シェイクスピアという共同執筆グループが云々と、はっきり言い切っておりました。

シェイクスピア別人説が堂々とまかり通っているのです。

この説は

18世紀に起こって、以来、延々と、ああでもないこうでもないと続いていまして、実在説を信奉する私としても触れないわけにはいかない。
情報が入り乱れています。

そこらを少し整理して、そう、それぞれ三点くらいに絞り込んで、以下列挙してみましょう。

いくつか曖昧、不明瞭な点が、なきにしもあらずなんですね。

成人するまでストラットフォードのド田舎に住んでいた皮手袋職人の息子が、教養、学識、法律、外国語、近代科学知識などの詳細な描写や、活気に満ちた高貴な人たちの暮らしぶりを独力で描けるわけがない。

独学を積んだことを示す具体的な証拠がないし、シェイクスピアによって所有された、あるいは貸借された形跡のある本もない。

上流階級の出身者でなければ、こうした戯曲を書くことは不可能である。

詳細に書かれたシェイクスピアの遺言書が現存していて、財産が事細かにリストアップされているが、日記や手紙など個人的な書類や書簡、蔵書に関しては一切言及されていない。

戯曲、詩、出版物についての言及もない。

初期の詩や自筆原稿、未完成の作品はもちろん、所有していたはずのグローブ座の株式に関しても一切触れられていない。

生涯を通じて書き記された彼の名前にShakespeare を含む何通りもの表記揺れが見られる。


なぜシェイクスピアを読んでください。

刊本において劇作家の名前の第1音節は一貫してShake-と表記されているのに対して、ストラットフォードの人物について言及している公文書においては1文字足らずのShak-と書かれていたり、Shag-あるいはShax-になっている。

ストラットフォードにいた人物は、ロンドンで劇作していた人物とは別人であり、シェイクスピアは実際の著者の正体を隠しておくための名前ではないのか。


こういう指摘、疑義を差し挟む人びとを、反ストラットフォード派(
anti-Stratfordians)と呼びます。

反ストラトフォード派のなかでも、支持する真の作者候補、たとえば、エリザベス女王、オックスフォード伯、ベーコン、クリストファー・マーロウ、その他の説までのそれぞれの学派が形成されているらしくrて、いくつかの論点がそれらすべての学派のあいだで共通しているのです。

趣味なんてものではなく、学派が形成されているんですね。


そこで、反論。

反論する人びとをストラットフォード派と言います。

憶測を全面否定して、意に介さない方々です。

こんな具合。

当時の中流階級の人物に関する伝記的事実は、政治家や上流階級のようには記録されなかった。

演劇を担った舞台関係者たちについての情報はいずれも断片的なものばかりで、同時代の大衆演劇関係者のそれと比較してみると量はむしろ多いほうじゃないだろうか。


現実的な芸術の定義は何ですか?

ベン・ジョンソンはシェイクスピアよりも低い身分の出だったが、大学出でないにもかかわらず、桂冠詩人になり、後年オックスフォードとケンブリッジの両大学から名誉学位を授与された。

シェイクスピアは14歳までストラトフォードのキングズ・スクール(エドワード6世校)に通って、そこで、ラテン詩人やプラウトゥスのような劇作家について学んだはずだし、母親は豪農の出で、相当な教養が備わっていた。

シェイクスピアの作品にはオックスフォード伯やベーコンのような上流階級の人間が知るはずのない下層階級の生活や俗語が詳細に描かれているし、シェイクスピアが所属していた国王一座は宮廷でも上演を行なっていたので、貴族社会の生活の様子を観察する機会は充分にあった。

▲轡イクスピアは遺言書で俳優たちへ寄贈品を遺している。

墓碑銘でシェイクスピアと呼ばれ、1630年代頃まではストラトフォードへの訪問者はこの墓碑銘を記念碑と見ていた。

シェイクスピアが著作権を劇団に譲渡したのは、この時代においては一般的なことであって、一旦劇団に作品を提出した時点で作品はシェイクスピア自身も株主である国王一座の団員による共有物となるのが慣例だった。

エリザベス朝時代のイギリスでは、表記法の規格が統一されてはいなかった。

シェイクスピアの名前のなかにハイフンを入れたShake-Speare という表記がしばしば使われるが、これを偽名とする証拠にはならない。

ハイフンは他の執筆者や出版業者が用いたものであって、シェイクスピア自身が記したものではない。

ハイフン入りの名前は時折見られる程度のものではなく、頻繁に、また明らかに、意図的、かつ意識的に使用されており、誤植などではない。


一般語を合成してできた固有名詞にはハイフンのあるものとないものが混在していて、同じ著者によって書かれた同じ文書のなかでさえ無秩序に両方の表記が採用されていることがある。


ざっとこのような論と証拠から、シェイクスピアの名で発表された戯曲はストラットフォード出身で、ロンドンに来てから俳優兼劇作家になったウィリアム・シェイクスピアによって書かれたものであるという見解になっています。


シェイクスピアの作品に心酔して劇作品の軌跡を追いかけ、シャンドス・ポートレートの肖像画に納得し、ストラットフォード・アポン・エイヴォンをシェイクスピア巡礼の地と見て何度も訪れているような者にとっては、憶測による議論にはついていけないんですね。

私はストラットフォード派ですが、Friends Newsletter を編集しておられる方々は反ストラットフォード派に気兼ねしているみたいで、不満です。

さて、あなたはどう見ますか。

 



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